カフェ ガラス玉遊戯 

かのドイツの文豪、ヘルマン・ヘッセの名作のタイトルを冠した、
鬱陶しい店がかつて国立にあったが、どこにあったかも忘れたまま30年が過ぎた。

NOAKUNITACHI!

雨が降れば傘を拾って国立駅前で売った。
1本も売れんかったけど。
しまいにはあげる、と言ってもだれも気持ち悪がってもらいもしなかった。

「大学通りに原発を誘致しよう!」と文化都市国立の良識ある市民運動家の穏やかなココロを根底から逆撫でするようなチラシを作って捲いた日もあった。

桜の季節、大学通りでのんびりと花見を楽しむファミリーをサイレンの爆音を鳴らして撒き散らし
酒に酔えばカニさんになって富士見通りを長い便所替わりに使い、
公民館の照明を片っ端から蹴り割った、そんな日々。
小難しそうなマスターが本当に鬱陶しかった。
酒を嗜む客が鬱陶しかった。
だからわれわれは敬意を表してこの店を「金玉遊び」と呼んだ。

その「ガラス玉遊戯」がッ!


なんと名前を変えて生き残ってるという情報を得た!
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FL^v^WERS (ぷっ)

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FLOWERS!
今や、天使まで飛んでやがる(@^^)/~~~


さっそく入ってみましょう!!

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まるっきり30年前とおんなじやん~

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愛想のよい若いねえちゃんが作るド素人料理をウマい、ウマい、と平らげてそっと国立を後にした。
★★♪





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コメント

くにたちナツカシス。
西友の横の細い路地のコーヒーやと蕎麦屋(増田屋だっけ)によく行ったなあ。
25年前ぐらい。

いいですねぇ。そのむかし学園都市とよばれた時代のヒトコマは、青春の思い出でしょうか。焦躁と倦怠は、きれいなものをぶち壊したくなる衝動にかられるのでしょうね。

むちゃくちゃ懐かしい。数年前おぼろげな記憶を頼りに捜しましたが、見つけられずじまい。駅前のダンキンで一晩中過ごしたり、わらじのようなトンカツを出すお店(名前失念)のおばちゃんにバレンタインのチョコをもらったり...。確実に楽しかったあの頃、25年前です。

みなさんなつかしいですか、そうですか、国立ってやっぱり過去の街なのかなあ。
今の人にとって国立ってどんな感じなのでしょう・・・・

>socitonちゃん
西友の脇の路地はブランコ通りね。名前覚えとかないと太るよ。
喫茶店はロージナ茶房、ジャズ喫茶の邪宗門、それからナジャ、ね。
名前覚えとかないと太るよ。
そば屋はなかったと思うよ。まして増田屋はないと思うなあ。

>桃猫ちゃん
コメントありがとうございます~。青春ならイイのかどうかわかりませんが、今もあんまり変わらずブチ壊したくなるから困ります。

>オヨヨちゃん
やっぱり25年前ですよ、ね!?
ダンキンでは夏の昼間一日中クーラーに当たって過ごしてました。
トンカツはどこかなあ。なんか、国立中の食いもの屋が劇盛りだったような記憶があります。

ブランコ通りの蕎麦屋は、田舎蕎麦を出す「そば芳」ではないでしょうか。

私のノア国立ビルは「小林亭」のイメージ。これも思い出。

一生いる人が少ないからこその思い出の町なんですかねぇ。

そうだったね!小林亭!金文堂地下からノア国立へ移動したんだっけ?
一度いってみたかった!

ああそば芳です。
太る。。。

田舎そばのポキポキで蕎麦の味がするうまいそば食べたい。

ブランコ通りの蕎麦屋が思い出せない・・・オレの時代にはなかったのか?それとも蕎麦屋などという高級料理屋はハナから無視してたのか・・・

多くの

「仕事」って同じこと続けているとクソ、変わらない変われないなら滅びろ、とか世間は言うのに、こういう店があるとほっとしたり、変わっていくと「終わったね」とか偉そうに言ったり。
人類皆あまのじゃくであります!

変わり続けることにのみ意味があった若かりしころ、気付けばなんも変わっとらんことに気づき、ああ、終わったと・・・人生もまた同じであります!

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